近代ゴリラの読書感想文

元予備役。司法試験合格。国家総合職試験合格。

 近代ゴリラ=インテリジェントゲリラ

【読書感想文】反省

反省 私たちはなぜ失敗したのか?
鈴木宗男佐藤優
アスコム
2007年

反省 私たちはなぜ失敗したのか?

 

 約15年前の書籍であり、話題としては旬を過ぎているものが多い。

 

 その中でも、現在でも参照すべき部分があるとすれば、その部分は一定の普遍性を帯びた人間考察、組織考察を提示していると言える。

 ただし、対立していた立場の者、組織に対して言及するという性質上、額面どおりに受け取ってよいかは注意が必要であろう。

 

 ・・・有象無象のヤキモチがバッシングとなって渦を巻いてくる。
男のヤキモチは、たいへんタチが悪いと。86頁

 

 私が思うのは、組織の上の人間というのは、・・・嫉妬されているヤツを守るんじゃなくて、嫉妬しているほうを救済すると。106頁

 

 なお、タイトルは「反省」であるものの、多くの部分は反省の体裁をまとった皮肉である。

【読書感想文】同志社大学神学部

同志社大学神学部 私はいかに学び、考え、議論したか
2015年

同志社大学神学部 私はいかに学び、考え、議論したか (光文社新書)

 
 本書は、佐藤優氏の大学、大学院時代の経験、学びのダイジェストである。
 
 佐藤氏の学生時代の出来事は『私のマルクス』でも触れられていた。
 本書は、マルクスに関する事柄を主軸にしていないため、『私のマルクス』では描かれなかった場面が含まれている。
 
 本書で頻繁に登場する神学に関する対話、引用は相当程度読み飛ばしてしまった。
 もっとも、神学生同士の観念と現実が交錯する特殊な会話は、まるで小説における会話のような趣がある。
 進路選択の際にも、観念的な対話の中から実社会への接合を模索する少し特異な苦悩が描かれている。
 
 
 フロマートカが言うように、神学を営むフィールドは、大学の図書館や研究室ではなく、この世界だ。
 わたしは、外交官という窓を通ってこの世界に出ることに決めた。279頁

 

 
 なお、本書では、佐藤氏が外務省専門職試験の勉強をする場面も描かれているところ、博覧強記の知的強者とでもいえる佐藤氏が、受験勉強には苦労していたことは示唆に富む。
 当たり前のことではあるが、勉強や知の形態は一様ではありえないことを実感できる。

【読書感想文】女たちのアンダーグラウンド

女たちのアンダーグラウンド 戦後横浜の光と闇
山崎洋子
亜紀書房
2019年

女たちのアンダーグラウンド――戦後横浜の光と闇

 

 本書は、主に戦後の横浜を対象として、歴史の闇の中に葬られそうになっていた不遇な女性たちに光を当てる。

 歴史を編纂する上で意識的、無意識的に捨象される不都合な事実に目を向け、人間存在の本質に迫るのである。

 

 過去の不都合な事実を禁忌とする態度を糾弾すること自体は容易である(これを具体的な行動レベルまで高めるのは容易ではない。)。
 そのような中で注意すべきなのは、禁忌の対象である歴史的事実を現在の価値観で断罪することへの誘惑である。
 人間の行動、感覚は、具体的な場によって強固に規定されることを意識する必要がある。

 

 現代の私たちがそう責めるのは簡単だ。
 が、いつだって、時代の空気というものがある。
 人はいやおうなしにそれに巻き込まれる。
・・・
 戦争にまつわる歴史を知ることは、自分の中に潜む身勝手で冷酷な「鬼」を意識することでもあると、私は思っている。
135頁

 

 

 後に目を向けることがタブー視されるほどの人間の凄惨な側面は、今後も形を変えて繰り返される可能性を秘めている。
 過去のタブーに目を向けることで、人間が潜在的に持ちうる感情を再認識できる。

 

 なお、タブーに切り込むという本書の性質上、本書の至るところで、繊細な人間心理が顔を出す。
 それらの各描写から考えさせられることは多い。

 

 公平に話しているつもりでも、私の言葉には、ついつい日本人としての立場が出てしまうようで、相手の顔色が微妙に変わることに気づかずにはいられない。
・・・
 ルーツである国に関して、非難がましいことを、彼らが自分で言う分にはいいのだが、他国の人間に言われるのはいやだ。
 それはあたりまえの感情だと思う。
223頁

 

【読書感想文】悲の器

悲の器
高橋和巳
河出文庫
2016年

悲の器 (河出文庫 た 13-16)

 本作品は、権威主義的法学者が私情で破滅していくという明確な舞台設定で展開する。

 論理で割り切れない情念に飲み込まれていく中で、高尚な理念や理論が空虚に響きわたる場面が何度も描かれる。
 上述の舞台設定のもとでは、理念や理論は高尚であればあるほど滑稽さを増すのである。

 ・・・どんな理論を専門分野で作りあげておろうと、人は生活の磁場においては、人なみに北と南を指す平凡人であるいがいにあり方はないと思いつつ。
 341頁


 さらに、時折顔をのぞかせるアイロニーが高尚な理論・理念をさらに追い詰める。

 

 「その猿は気にくわんね。」
 「そうですか。」
 ・・・
 「うかがいましょう。わたしのほうからも補うべきことがございます。」
 「まず第一に、・・・・・・」規典の肩の上のポケットモンキーが、私の真似をして身をのりだすようにした。
 422~423頁

 

 なお、本作品で法律用語が不正確に用いられている箇所が散見された。
 もっとも、本作品における人間感情の源泉の素描は、このような揚げ足取りを全く意に介さない凄みを持っている。

 

 

・・・もし、この世界に悪魔が存在し、ときとして人間が完璧な修羅と化すことがあるとしても、元来、悪魔なるものは非人間なものではなく、むしろ、人間の一部族にすぎないものであるから。
 293頁

 

【読書感想文】謝罪論

謝罪論
古田徹也
2023年

謝罪論 謝るとは何をすることなのか

 本書は、哲学・倫理学を専門とする古田准教授による著作である。
 本書は、分析対象を謝罪に設定したことで、類書がほとんど存在しない書籍に仕上がっている。
 
 本書のエピローグでは、具体的な謝罪のための「実践的なヒント」(270〜279頁)。
 これは本書のまとめであり、列挙すると以下のとおりである。
 
 ・定型的な表現に頼り切らない
 ・謝罪の理由として自分が何を言っているかに気を配る
 ・正当化や弁解との区別を明確にする
 ・できる限り迅速に行う
 ・拙速な改心のアピールや無理な約束は避ける
 ・「自分が楽になりたいだけだ」と思われないようにする
 ・謝罪をする相手や順番を明確にする
 ・誰が謝罪をしているか明確にする
 ・必要に応じて第三者を立てる
 
 
 このまとめの表題だけを読んでも納得感がある。
 ある程度混みいった議論を読み解く必要がある本文に比して、この部分は明快で具体的である。
 そのため、本文を読み流した上で、この部分だけを拾い読みするという誘惑に駆られる。
 
 しかしながら、あとがきの端的なまとめは、本文の議論を咀嚼した上で真価を発揮する。
 
 
 物事を図式的に単純化して切り分けるマニュアル化は、しばしば人を思考停止させ、現実を歪めてしまう。
 重要なのは、謝罪というものの多様な側面に目を向け、柔軟に捉えることであり、「すみません」等々の発話が息づくそのつどの文脈を、前後の言葉や行動を通して明確にしていくことにほかならない。
 268頁

 

 
 そして、最終的には、謝罪論は、コミュニュケーション全般を包摂することまで到達するのである。
 
 
 子どもに謝罪の仕方を教えるのが難しいのは当然だ。
 なぜなら、それはほとんど、この社会で他者とともに生きていく仕方を教えることだからだ。
 281頁

 

 
 
 本書は、哲学、倫理学を専門とする著者が、卑近な現象である「謝罪」を分析することにより、実利的な効用とは縁遠いと思われる分野において実利的な効用を提供している特殊性がある。
 明快な日本語で哲学・倫理学等の議論を理解しつつ、謝罪の分析という実利的な効用を得ることもできる良書である。

【読書感想文】読む・打つ・書く

読む・打つ・書く
三中信宏
東京大学出版会
2021年

読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々

 

 

 一見奇をてらったタイトルに見える「読む・打つ・書く」は、「読書論・書評論・執筆論」を意味する。
 理系研究者による読書論・書評論・執筆論のエッセイであり、著者もあとがきで自負するように類書は少ないと思われる。

 

 本書は、ひとりの研究者がどのように本を読み、書評を打ち、著書を書いてきたかの、一般論ではなく、できるだけ具体的な自分自身の経験に基づく考察である。
 私が知る限り、いわゆる“理系”の研究分野で、読書論・書評論・執筆論をまとめて論じた本は他に心当たりがない。
314頁


 著者は、本書において、「一貫して利己主義を標榜してきた」と述べる(314頁)。

 

 しかし、本書は、手堅い記述の中に時折ユーモアが同居する魅力的な文章で、利己主義を超えて他者への娯楽を提供していることは明らかである。

 

 また、本書が、知的生産者に対して、多くの示唆を含んんでいることも明白である。

 

 

「読む・打つ・書く」の実践について、私はことこまかに手順を書いたところがある。
 しかし、みなさんに無理難題を押しつけるつもりはさらさらない。
 たとえば本を書こうとするならば、唯一たいせつな点は「飽くことなく毎日続けること」だ。
315頁

 

【読書感想文】Chat GPTは神か悪魔か

Chat GPTは神か悪魔か
落合陽一他
宝島社新書
2023年

ChatGPTは神か悪魔か (宝島社新書)

 

 本書は、複数の著者のChat GPTに関する小稿を収録している。

 以下の論稿は、ChatGPTの現在位置を直感的に理解でき、特に興味深かった。
 ・「職業」は簡単には消滅しないという導入から、現時点における生成AIの可能性と限界について説く山口周氏の論稿(48〜87頁)
 ・現時点におけるChatGPTの具体的な機能特性について述べている野口氏の論稿(90〜123頁)

 また、ChatGPTの根本原理を、手前の文字に「確率的にありそうな続きの文字」をどんどんつなげていくAIと表現する深津貴之氏の説明(165頁)は、端的で分かりやすい。


 本書では、様々な見解が述べられているが、今後、一般的知識の価値が暴落することは確かである。

 また、知識すべてが無価値になる潜在的な可能性はあるものの、それはもう少し先のことと思われる。

 このような状況下で、現時点で人間が探究すべきなのは、「外れ値」(山口周氏)、周縁部の特性=「マタギ性」(落合陽一氏)であるとのことである。

 本書は軽い読み物であるが、今後の人間の知性のあり方に関して思考を巡らせる起点を提供してくれた。

【読書感想文】基礎から分かる論文の書き方

基礎から分かる論文の書き方
2022年

基礎からわかる 論文の書き方 (講談社現代新書)

 
 本書は、新書でありタイトルも軽い。
 それゆえ、多くの者は、本書を見て、学部生向けの卒論作成のマニュアル本といった第一印象を抱くだろう。
 
 しかし、本書を眺めていると、すぐに異変に気付く。
 
 新書でありながら500頁弱もあり、新書らしからぬ分厚さとなっている。
 中身を一瞥すると、脚註が多くあり、文献リストも備えられている硬派な体裁である。
 
 本書から滲み出ている以上の特異性のとおり、本書は、単に論文作成の形式的な作法を説明するマニュアル本ではない。
 
 
 なおこの本は、いま主流になっている「論文の書き方」を相対化する視点も含んでいます。
 具体的には、科学史の知見や、論文型式の歴史などにも言及しながら、社会的な枠組みとしての「論文の書き方」がどのような理由と経緯で構築されてきたのかも検討しています。
 そして、さまざまな学問体系disciplineの枠組みを比較しながら、そこで共有されている「論文の書き方」が分かれていることにも言及しています。(9頁)

 

 
 タイトルのとおり論文の基礎論として有用であることはもちろんのこと、読み物としても面白い。
 論文作成を超えて、より一般的に「人を説得する技法」を考える契機を与えてくれる。

【読書感想文】天才はあきらめた

天才はあきらめた
2018年

天才はあきらめた (朝日文庫)

 
 結論として、山里氏が天才であるか否かは問題でない。
 
 本書では、細部への偏狭的ともいえるこだわり、下準備としての大量の反復作業、試行錯誤が多数の箇所で展開されている。
 この一職人の矜持をくみとればよいのである。
 
 
例えば当時、大好きだった爆笑問題さんをテレビで見て、そのしゃべりを必死に書いた。
 ダウンタウンさんの番組で自分の笑ったところで止めて「今なんでおもしろいと思ったか」をノートに書いた。
 おもしろい人のエピソードを真似してやってみたり、ある先輩が辞書を読んでいると聞いたので、辞書を読んで言葉数を増やしてみたりもした。(62頁)

 

 
 
ただ全く同じものをやるのではなく、いろいろなマイナーチェンジを加えた。
 一つのくだりに、単純にボケの候補を50個作って全て試して、一番ウケたやつを残すという入れ替え戦のような形でやっていたり、ツッコミのフレーズもいろいろ試したり、ある程度ウケるものが固まってきたら、ネタ内容は全く一緒だが、ボケを言ってからツッコむまでの時間を長くしてみるという細かいことまでした。
 ノートのなかのネタの横には、ツッコむまでの秒数とそれのウケの量を書いていた。
 毎回、ライブが終わるたびに取捨選択の作業、そしてそれをノートに書く。
 そのときに思いついたボケは次の舞台で入れてみる。
 そして反応を見てそれを固定化する。
 その繰り返しだった。(162頁)

 

 
 
 偏狭的なこだわりは、対人関係においては妙な執念深さとなって発現する。
 
 
いつか覚えとけよ・・・・・・。
 僕のノートには、その日のこのやり取りと、その人を罵倒するために自分が頑張らないといけないことをびっしり書いた。(154頁)
 

 

 
 なお、オードリー若林氏による巻末の解説が、本書にとって非常に重要な役割を果たしている。
 若林氏は、山里氏の天才性を説き、天才が「天才はあきらめた」などとうそぶき、とぼけていることは確信犯であることを愛情に溢れた毒舌で喝破する。
 「天才はあきらめた」と放言する天才の努力論は、若林氏の解説により様式美として昇華されるのである。

【読書感想文】ユーモアは最強の武器である

ユーモアは最強の武器である
ジェニファー・アーカー、ナオミ・バグドナス
神崎朗子訳
2022年
 

ユーモアは最強の武器である―スタンフォード大学ビジネススクール人気講義

 
 
 本書は、序盤の章でユーモアの効能を説いた上で、ユーモアの仕組みを解体する。
 
 あらゆるユーモアの核心には、事実にある。109
 
 
 社会科学ではこの原則を「不調和解消理論」によって説明する。
 つまりユーモアは、予想と実際に起こったできごとの不調和から生じるということだ。110頁

 

 
 
 序盤の基礎的な説明に続き、その後の章では、ユーモアを仕事に持ち込むことなどを説く。
 ここでは、具体的実践的内容も含まれており、ユーモアを発揮することは才能による曲芸でないことを理解できる。
 
 
・・・手紙を受け取った相手は、追伸の文を読んで第一印象を抱くということだ。
 じつはメールでも同様なのだ。
 ・・・というわけで、追伸は真面目になりがちなメールの文章に、ちょっぴり陽気さを加えるのに効果的なのだ。166頁

 

 
 
 ただし、本書は、単なるマニュアル本ではない。
 
 大袈裟に表現すれば、仕事哲学、人生哲学の本とでもいえようか。
 そのため、本書の内容を技術的に用いるのみでは不十分であるように思える。
 

ユーモアは選択だ。
 選択をするためには自分の人生をしっかりと見つめ、まわりの人たちの声に耳を傾け、「いま、この瞬間」を味わう必要がある。352頁
 

 

 機械的なやり取りで素通りされるコミュニケーションの中に、少しの遊び心を盛り込む意識を持つことで、仕事や生活は大きく変わるかもしれない。
 本書には、そんな大それた希望すら抱かせる魅力と説得力がある。