ゾーンの入り方
平成29年
1 近代ゴリラ
2 概要
3 理屈、感覚、創意工夫
4 ハンマロビクス
5 類書との差別化
6 スポーツ愛
7 蛇足としての要望
1 近代ゴリラ
室伏広治。
言わずと知れた、アテネオリンピック金メダリスト、ハンマー投げ日本記録保持者である。
近代ゴリラを探求する上で同氏を避けて通ることはできないだろう。
室伏氏の身体能力の高さ、肉体的屈強さは説明不要であろう。
一方で、ハンマー投げを探求する過程で体育学の博士号まで取得している。
まぎれもなく、知性と野生を兼ね備えた近代ゴリラである。
室伏氏の肉体レベルまで到達することは困難であるが、日本にこのような近代ゴリラが存在するという事実は励みになる。
私は、室伏氏のこれまでの発言等から同氏を良識派のアスリートと位置づけていた。
また、室伏氏が独自のトレーニングを行っていたことからも、同氏の考え方を知りたいと思っていた。
そこで、近著である本書を手に取った次第である。
2 概要
本書は、日本を代表する近代ゴリラ・室伏広治氏による、集中力や身体の操縦性を高めることを内容とした新書である。
一般人でも実践可能である意識の置き方、考え方やエクササイズが収録されている。
3 理屈、感覚、創意工夫
後述のハンマロビクスの項で述べるが、室伏氏のアプローチはどれも理屈が伴っている。
理屈が伴っているがゆえに、アプローチ=考え方は他分野にも応用できるような汎用性を備えている。
また、感覚に関する興味深い記述も散見される。
例えば、
・・・スタンドの照明が煌々と灯っている中で、果たして星は見つけられるだろうか。そう思いながら、遠く夜空を眺めていると、星が輝いているのが見えました。そうしているうちに、私の耳には何も聞こえなくなっていたことに気がつきました。夜空に私の気持ちが向かっていったことで、音が消えたのです。「ああ、これが集中するということなのか」16頁
理屈は伝達の過程で変質が少なく、情報を客観的に伝えることには適している。
しかし、理屈では伝わらなかったことが感覚的な説明で腑に落ちることもある。
特に、スポーツの分野に関してはこの傾向が強いように思える。
そのため、室伏氏が理屈に加え、感覚に関しても記述していることは本書の価値を高めていると考える。
さらに、「使えるものは何でも使う」という創意工夫の精神が貫かれている。
赤ん坊の動きを参考にしたり、机上の理論からヒントを得たり、他のスポーツを経験するなど枚挙にいとまがない。
そして、室伏氏は「使えるものは何でも使う」中でも目的との関係で脱線しないことに細心の注意を払っている。
この点はあらゆる分野に必要な心がけであろう。
「それは何のためのトレーニングなのか?」
「これは何を目的とした練習なのか?」
私はそれをつねに考えて練習に取り組んできました。 99頁
4 ハンマロビクス
ハンマロビクスは、室伏氏の独特なトレーニングのうちの一つである。
バーベルにハンマーをぶら下げ、ハンマーをランダムに揺らしながらスクワットをする種目が一例として挙げられる。
私は、室伏氏がこの独特なトレーニングを行っていたことは認識していたが、このようなトレーニングをしている理由については、把握していなかった。
氏曰く、このトレーニングの目的は、毎回新鮮な気持ちでトレーニングに取り組むための工夫であり、自分の身体の中で眠っていると思われる神経回路を目覚めさせるアプローチであるという。
室伏氏はハンマロビクスのコンセプトとして以下の点を列挙する。
①単純な反復運動をさせない
②不規則な動き
③体を慣れさせない
④感覚が常に内在する運動
⑤即興的に対応する運動 75頁
上記①~⑤の要素を具体化させたのが、ハンマロビクスという独特のトレーニングなのである。
ハンマロビクスは一見すると奇異で不合理なトレーニングである。
しかし、この不合理は合理的に選択されたものであることが分かる。
5 類書との差別化
アスリートが執筆した、集中力や身体の操縦性を高めることを内容とした書籍は、世に多数存在している。
では、類書と本書との違いは何か。
まず、近代ゴリラを目指す私としては、室伏氏が執筆した本ということ自体が類書との差別化となっている。
次に、本書では、所々にエクササイズの実演写真がある。
そして、この実演は室伏氏本人によるものである。これに関しては、文字ではニュアンスを伝えられないので、実際に写真を見ていただくしかないが、室伏氏の巨体で一般人でもできるエクササイズを実践している写真はどこかシュールなのである。
ちなみに、私のお気に入りは、室伏氏が新聞紙を握りつぶす一連の写真である。
6 スポーツ愛
本書を読むと、室伏氏のスポーツに対する思いが伝わってくる。
これは、自らがスポーツから得た恩恵を社会に還元しようという強い思いである。
私が、室伏氏を無意識のうちに良識派のアスリートと位置づけていたのは、同氏のこのような姿勢に由来するのかもしれない。
7 蛇足としての要望
やはり、新書という性質上、気軽に読める体裁となっているため、情報量が不足している感は否めない。
そのため、本書を敷衍する形で、室伏氏の考え方・技術論を網羅した本を出していただきたいというのが私のささやかな願望である。
専門書とまではいかないにしても(専門書レベルだとそもそも私も咀嚼しきれないだろう)、ある程度の情報量と質を備えた一般書を出していただきたいのである。
確かに需要はあるように思えるのであるが、いかがであろうか。