理系の子 高校生科学オリンピックの青春 (文春文庫 S 15-1)
- 作者: ジュディ・ダットン,横山啓明
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2014/10/10
- メディア: 文庫
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1 序
2 概要
3(1)研究の動機
(2)科学と芸術
4 蛇足
1 序
理系の大学院に在籍していた知人から薦められた一冊である。
おすすめの際に私が出した要望は、「全く素養が無い人間でも、理系分野の研究の魅力を感じられる本」である。
本書は、理系の素養を欠く者でも楽しめるような平易な解説がされている(と思う)。
今、(と思う)などという中途半端な表現をした。
この表現は、私自身が、細かい科学原理の記述でよく分からない部分があったことの自白である。
2 概要
本書は、アメリカで開催される「サイエンス・フェア」を題材にしたノンフィクションである。
生徒の個々の研究の解説、研究における試行錯誤、人間ドラマなどが描かれている。
サイエンス・フェアは、中高生が科学の自由研究を出品するイベントである。
こう書くと、非常に軽い感じがするが、扱われている研究内容は、同書の表現を援用すると、「大学院や博士課程の水準を上回るものが多い」、驚くほど高水準のものである。
3 私が本書を読んで、特に印象的だった要素が二つある。
第1に、生徒たちの研究の動機である。
第2に、科学と芸術である。
以下、それぞれについて述べる。
(1) 研究の動機
研究の質の高さに圧倒されていたのはたしかだったが、より深く心に響いたのは、生徒たちの研究の背後にある物語だ。日々の暮らしのなかで生じる問題を解決しようと頭をひねり、画期的な発明が生まれるケースがいかに多いことか。ある男子生徒の家族は、打ち捨てられたトレーラーに住み、暖房もなければ、湯も出ないたいへん貧しい暮らしを強いられていた。また、ある女子生徒は、自閉症を患った従妹のために、読み書きを学んだり他人と交流できるようになるプログラムを考案して成果をあげ、国じゅうの学校で採用されるにいたった。とある町では、自殺が多発して警察を悩ませていたのだが、サイエンス・フェアで披露された”セラピー・ホース”の利用によって、外傷後ストレス障害を水際で食い止めることに成功した。(単行本版 17~18頁)
(2) 科学と芸術
私は、従来、科学に対して明晰さの極致という漠然とした印象を抱いていた。
この印象は、科学の性質の一面には合致するものの、不正確である。
本書を読むと、研究を進める際に、どのような問題意識を持つか、どのようなアプローチで問題に切り込むかは、極めて創造的な知的営為であることが分かる。
本書において、当初は女優を目指す片手間でサイエンス・フェアに出場したと発言する女子学生のエピソードが興味深かった。
「わたしたちは厳格にものごとを実証していかなければなりませんが、創造力、常識にとらわれない、とんでもない発想が必要なんです。そもそも仮説というのは、そこから生まれます」この日、イライザは日頃から漠然と感じていたことが真実だと知った。科学というのは統計と理論の無味乾燥な集積などではなく、芸術から派生してくるものなのだ。科学は芸術。詩なのだ。科学は創造的であり、心をときめかせ、セクシーですらある。(単行本版 293頁)
4 蛇足
専門として関わっていない限り、科学技術が絡む対象を完璧に把握することは難しい。
もっとも、当該技術・研究の意義・概要の把握ならそれほど困難ではないだろう。
いわば、「上澄み」の把握である。
上澄みの把握は、今後さらに高度化していく社会の荒波に飲み込まれないための自助努力である。
立花隆氏が同趣旨の発言をしていた気がするが、私の記憶が定かでなく、典拠不明である。
また、より高い次元の視点としては、社会がいかに科学・科学者を包摂するかという問題について、常に問題意識は持ち続けたいと思った。