罪と罰を考える
1993年
1 渥美東洋博士
2 味わう読書
3 著者の先見の明
4 基本原理の記述
1 渥美東洋博士
渥美博士には数々の伝説があるようである。
例えば、講義中に騒いでいた生徒を追い出したものの怒りがおさまらず、追い出した生徒を追いかけた。
あるいは、司法試験で時間が余りすぎたので、外でお茶を飲んでいた。
このような調子である。
もちろん、数々の都市伝説の真偽は不明である。
2 味わう読書
私は、今日この頃、事前に目的設定をした上で、必要な情報を得るという即物的な読書を続けていた。
一方で、本書は、一文一文を咀嚼しながら丁寧に読まないと頭に残らない性質を有する(単に私の読解力に問題があるだけかもしれない。)。
渥美博士は、まえがきで、本書を「いわゆるエッセイ風の文章」と表現する。
しかし、抽象的な記述が多く、それなりに硬質な文章であると思う。
私はとしては、このような一文一文を味わうような読書もたまには良いと素朴な感情を抱いた次第である。
3 著者の先見の明
本書では刑事訴訟やそれに通底する原理原則に関する様々なトピックが取り上げられている。
現在の視座から見ると、本書で取り上げられている問題意識が立法につながった例が多いことが分かる。
これは、渥美博士に先見の明があったことを意味する。
4 基本原理の記述
上記のような渥美博士の先見の明を味わうことも本書の一つの楽しみ方であることに間違いはない。
もっとも、現在においては克服された論点について長々と読むことは少々くたびれる(現に私は相当な部分を読み飛ばしてしまった。)。
本書の一番の価値は、普遍的な原理について記述されている部分であろう。
ここで、本書の中からいくつか名言を引用する。
「基本的人権の尊重と実体的真実の発見」が刑事裁判の目標であることは間違いない。だが、この標語、御題目を唱えて、当の具体的事件での当事者の自己選択を認める具体的な裁判を運営する工夫を重ねなければ、まさに、ここでの御題目は空念仏に終わる。(267頁)
・・・これらの不都合さを「捜査の流動性」とか「公判の審判対象の浮動性」とかいう概念を用いて回避しようとするのは、全くの後知恵の議論、結果論である。(366頁)
本書は、刑事訴訟における基本原理を抽象的なマジックワードとして用いるのではなく、歴史、本質、比較法、憲法の理念などから説く。
説明の際には、類似概念を丹念に比較することで本質をあぶり出す手法がとられていたりする。
本書の記述は、刑事訴訟法学を考察する上で有益であることは当然であるが、それにとどまらず、物事を考察する際に、表層的な理解は危険であることも気付かせてくれる。