1 本稿の目的
2 前提確認
3 北村氏がドーピングをしたという主張のバリエーション
4 ボクの履歴書
5 「否定」の意味
6 総括
1 本稿の目的
本稿の目的を抽象的に一言で表現すると、北村氏がステロイドを使用したのか、あるいは、より広く、北村氏がドーピングをしたか否かの議論の交通整理です。
結論としては、
「北村氏はドーピングをしていないと『ボクの履歴書』において断言している。
しかし、北村氏が亡くなる直前の映像における彼の身体を見ると、到底ナチュラルであるとは思えない。
したがって、北村氏はドーピングをしていないという虚偽の発言をした。」
という主張は誤りであると考えます。
この主張は、時系列を度外視した誤りがあります。
2 前提確認
前提を確認します。
私は、単なる一トレーニーに過ぎず、いわんやボディビルダーではありません。
そのため、ドーピングをした者の身体を一瞥しただけでドーピングの有無を判断する能力を持ち合わせておりません。
私が本稿で主に試みるのは、文献に基づいた考証です。
北村氏の過去の映像等からドーピングの有無を検証する性質の論考ではありません。
この点はどうか誤解がないようにお願いします。
また、私自身は北村氏のファンです。
それゆえ、どうしてもポジショントークになってしまうでしょう。
この点も合わせて確認していただければと思います。
すでに、上記の「1 本稿の目的」で、本稿は北村氏の名誉を挽回するという性質を帯びていることを感じ取られたことと思います。
3 北村氏がドーピングをしたという主張のバリエーション
インターネット上に存在する、北村氏のドーピングに関する主張にはいくつかのバリエーションがあります。
① そもそも、北村氏はドーピングをしていない
② 北村氏は、最終的にはドーピングをした。しかし、継続的にしていたわけではない。
③ 北村氏は、客観的にはドーピングをした。しかし、これは、異物混入など本人の意思が介在しないものである。
④ 北村氏は、継続的にドーピングをした。
大きく分類すると、この4つくらいでしょうか。
ここで、上記「1 本稿の目的」をより具体化します。
私の立ち位置は、②あるいは③です。
この立場から④の主張において誤った根拠に基づいているものが多々あるため、それを是正しようと試みるものです。
4 ボクの履歴書
北村氏がドーピングを明示的に否定していたことの根拠として挙げられるのが、北村氏の自伝である『ボクの履歴書』です。
同書のvol.64「14年前の悪夢『ドーピング陽性結果の真相』」(99~103頁)でドーピングについて触れられています。
さて、前回お約束したとおり、1986年7月20日のユニバース選抜コンテスト「ジャパン・チャンピオンシップス」においてドーピング検査の結果、陽性と判定され、それに異議を唱えてJBBFをやめることになった経緯について真実を詳しく語りたいと思う。ここにこれから書き記す内容は衝撃的すぎるものであり、この記事によって幾人かの人は苦しみを体験することになるかもしれない。しかし、その苦しみがどれだけ大きなものであったとしても、あのコンテスト以来、今日に至るまでの14年間にわたってドーピング・ビルダーの汚名の下であたかも罪人のごときに月刊ボディビルディング誌上でも公の場においても公然と罵られ、回り道をしてきたボクの悲しみと苦しみに比べれば、かすり傷にも満たないものと思われるので許していただきたい。(『ボクの履歴書』99頁)
北村氏の静かなる怒り、悲しみがにじみ出る筆致で真相告白が幕を開けます。
本文では、北村氏がドーピングで失格になった大会における陰謀が綴られています。
そして、以下の厳粛な雰囲気で文章は結ばれています。
・・・さらに付け加えるとしたら、前年度の全日本実業団での仕上がりが85㎏で、アジア大会の時が83㎏であり、劇的に筋量が増大したわけではない。カーボ・ローディングによる仕上げに成功しただけなのである。あとは読者諸兄の判断にお任せすることにしよう。語るべきことはすべて語ったつもりである。真実のみを記したことをここで神に誓ってペンを置きたいと思う。(『ボクの履歴書』103頁)
巷で「マッスル北村はドーピングを否定していた」と言われる際、その根拠は『ボクの履歴書』の上記箇所によっていると思われます。
確かに、北村氏は同箇所においてドーピングを否定しています。
もっとも、この「否定」の意味は精査する必要があります。
5 「否定」の意味
『ボクの履歴書』の該当箇所を読むと明らかですが、同稿で北村氏が明言しているのは、「1986年7月20日の『ジャパン・チャンピオンシップ』の時点においてドーピングをしたという事実はなく、同時点でドーピングの陽性反応が出たことは陰謀である」ということです。
ですから、同稿の文理に素直に従えば、同稿の「否定」の射程は1986年7月20日時点に限られるはずです。
ただし、同稿から一切のドーピングを否定するニュアンスを読み取ることは不可能ではないため、同稿を一切のドーピングを否定する根拠とすることを完全に排斥は出来ないかもしれません。
この点は評価の問題となりますが、私は、同稿を文理に忠実に読み、上記の通り「否定」の射程を限定的に捉える立場です。
6 総括
以上の通り、「マッスル北村はドーピングを否定していた」と言われる際の「否定」とは、『ボクの履歴書』の記述を前提とすれば、「1986年7月20日の『ジャパン・チャンピオンシップ』の時点における否定」を意味すると考えます。
それ以降北村氏がドーピングをしたか否かは同稿の射程外であると位置づけるべきです。
もっとも、同稿の内容が過去を対象としているといっても、ドーピング否定の記事を書くことで、執筆時点でもドーピングを否定する意味づけがなされ得るのが難しいところです。
この問題を突き詰めていくと、文献考証だけではおさまらない深遠な領域が待ち受けていることでしょう。
私は深緑の森に足を踏み入れることはしません。
最低限私が望みたいことは、上記「否定」の意味を吟味するという視点を提供することで、誤解に基づく北村氏の誹謗中傷が少しでも排除されることなのです。
合掌。