近代ゴリラの読書感想文

元予備役。司法試験合格。国家総合職試験合格。

 近代ゴリラ=インテリジェントゲリラ

【読書感想文】習得への情熱ーチェスから武術へー上達するための、僕の意識的学習法

おすすめ ★★★★★
近代ゴリラレベル ★★★★
習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法

習得への情熱―チェスから武術へ―:上達するための、僕の意識的学習法

 

 1 著者について

2 方法論の提示
3 アスリートが自らのパフォーマンスを言語化することは必須か
4 精神論と技術論
 
 
 
1 著者について
(1) 本書の著者は、チェスの世界王者から転向して、太極拳の世界王者となった。
 この経歴だけでも圧倒される。
 加えて、本文の内容から推察するに、著書はコロンビア大学で哲学を学んだ秀才であり、この経歴は文才として本書に反映している。
 本書の著者は、動作、その場の状況、雰囲気、心理状態などの非言語的要素を言語化する能力に長けていると思う。
 
(2) 本書は、チェスと太極拳で頂点を極めた著者が、物事を習得する普遍的な技法を提示するものである。
 長い年月、競技の場に身を置いてきた者として、勝利への情熱はいまだ冷めていないけれど、それ以上に、僕は学習することやトレーニングが何よりも好きになっていた。
 …そして気がついた。
 僕は太極拳やチェスに長けているわけではないのだー僕が得意なのは学ぶこと、そう、習得の技法なのだということを。
 この本は、僕の方法論の物語だ。
 (12頁)

 

2 方法論の提示
 ここで、本書で紹介されている方法論をいくつか紹介したい。
 ただ、本書で紹介されている文脈から切り反して抽象的な理論を記したところで理解は困難かもしれない。
 理解が困難である場合には、各自、本書を手に取り、該当箇所を参照されたい。
 
(1)ソフトゾーン
 周囲の状況等を遮断するのではなく、どんな事態が起こったとしても、その心理状態のまま意識が流れ続け、生活上のどんなざわめきでさえも、創造力に富んだ一瞬一瞬に組み入れて利用することができる集中状態(69頁~など)。 cf. ハードゾーン
 
(2)数を忘れるための数(型を忘れるための型)
 「身について自然と使えるようになった知識(と感じられるもの)に技術的な情報が統合されるプロセス」(91頁)。
 
(3)負の投資
 「成長するためには、今持っている考えを捨てる必要がある」という考であり、例えば、「この筋骨たくましい大男も、そのたくましい筋肉以上のものを使うすべを覚えるまでは、小柄な相手に小突き回されなければならない」。(125頁)
 
(4)より小さな円を描く
 「そのプロセスは、まず課題とするテクニックのエッセンス(たとえば、高度に洗練され、自分の中に深く吸収した身体メカニズム、または、感覚))に触れ、その上で、そのエッセンスの神髄だけを保ちながら、テクニックの外形を徐々に小さく凝縮させてゆくことではないかと考えた。
 …時間をかけてこれをやれば、外方向への拡散が減り、効力が増すようになる」(139頁)。
 
(5)内的解決
  成長やパフォーマンスにとって有利な外的状況を把握し、外的状況がなくともその効果を享受できるようにする(154頁)。
 
(6)時間の流れを緩める
 無意識的に処理できる領域を拡大することで、意識的思考という資源を効率的に配分でき、あたかも時間がゆっくり流れているかのような処理を可能にする(166頁など)。
 
(7)今という瞬間に心を置く
 まるで自然に呼吸するかのごとく、今の瞬間に心を置くことが必要である。
 そして、一瞬一瞬の可能性を最大限に利用する(194頁)。
 
(8)ストレス・アンド・リカバリ
 ある対象に全力で集中する。
 集中力が萎えたら、全力で回復する。
 休息に必要な時間が短縮されていけば順調である。
(206頁)
 
 
3 アスリートが自らのパフォーマンスを言語化することは必須か
 本稿を書き進めながら、ふと思ったことがある。
 アスリートが自らのパフォーマンスを言語化することは、成功のための必要条件なのか。
 結論としては、パフォーマンスの言語化は、成功のための必要条件にはなり得ない。  
 容易に反証、すなわち、自らのパフォーマンスを上手く言語化できなくとも成功しているアスリート、が見つかるからだ。
 例えば、長嶋茂雄氏。
 彼は、オノマトペを多用し、自らの感性を炸裂させていた(との印象を私は持っている)。
 「ここで、バーンとやって、さっと引いて、すっと出すんです」といった具合である(あくまで私のイメージである)。
 
 ただ、自らのパフォーマンスを言語化する能力は、重要な能力であることは疑いがないだろう。
 本書を読んでも分かることだが、著者は自らのパフォーマンスを言語化する能力に長けている。
 そして、言語を媒介としたトライアル&エラーは著者の能力向上において重要な役割を果たしていることが読み取れる。
 また、私のような凡人は、その世界のトップレベルでしのぎを削る者の感覚をそのまま受信することはできない。
 言語というフィルターで濾過して提示もらえることで、初めて情報が受信可能になるのである。
 
 
4 精神論と技術論
 知性的なアスリートによって書かれた本では、ほとんど例外なくメンタルコントロールの重要性が説かれているとの印象を持っている。
 以前紹介した室伏氏の著作や落合氏の著作もこの例に漏れない。
 
 ここで、分析対象が精神であるからといって、その考察がいわゆる精神論になるという訳ではない。
 「いかにメンタルをコントロールすべきか」という工夫は技術論なのである。
 これは精神的技術論とでもいえようか。
 ある本が精神について語っている場合に、それが精神論なのか精神的技術論なのかを見極めることによって、その本から何を得ることができるかを明確に意識でき、効率的な読書が可能になるだろう(なお、私は、精神論は好きではない。)。