おすすめ ★★★
近代ゴリラレベル ★★
1 衝動買い
2 形式的言語・実質的言語
1 衝動買い
「ジャケ買い」という言葉がある。
これは、CDを買う際に、当該アーティストや楽曲を把握せずに、ジャケットの印象のみで購入する行為を指す。
CDを買うという行為自体少なくなったため、「ジャケ買い」という言葉は死語になりつつある。
ジャケ買いは、衝動買いの一形態であるが、衝動買いには他にも「タイトル買い」などが挙げられる。
特に、書籍購入の際、(とりわけ、ネットで本の中身を読まずに購入を決める際、)タイトルが購入決定に与える影響は大きい。
そのため、自己啓発書や気軽に読めるビジネス書の分野では、何とも怪しげな眉唾もののタイトルが多い。
いざ中身を読んでみると、タイトルが内容の1割も表現できていないなどという事態がありがちである。
一方で、小説に関しては勝手が違う。
タイトルも作品の一構成要素、それも特に重要な一構成要素だからである。
コテコテのエンターテイメント小説であれば商業的観点から、タイトルが決定されることもあるかもしれない(偏見的非礼発言)。
しかし、純文学の分野ではそのようなことは希であろう。
商業的な観点からタイトルを決めるという行為は純文学作家にとっては魂を売るに等しい行為であろう(再び偏見的非礼発言)。
このような構造になっているため、私の経験からしても、小説のタイトルが気になってそれを読んでみた場合には、外れが少なかった印象である。
そして、前置きが長くなったが、今回私が読んだ小説のタイトルは、「死ね!」である。
ここまでの流れから容易に想像がつくように、私は同小説のタイトルを見て、衝動買いした訳である(もっとも、0円だったが)。
衝動買いについて熱く語りすぎて、同小説の内容面を語る勢いが残っていない。
内容面については軽く触れて結びたい。
2 形式的言語・実質的言語
「死ね!」というタイトルからは、どのような印象を受けるだろうか。
私怨を晴らす話か。
エクスクラメーションマークがどこか軽薄な印象を与えるため、コメディか。
意外にも真面目な話か。
あるいは、夢野九作的な精神倒錯ものか。
結論から言うと、本作は、「意外にも真面目な話」である。
「死ね」という台詞は、本作の結びで出てくる。
そして、ここでの「死ね」という言葉は、とても暖かい。
形式的には、「死ね」という苛烈な文言であるが、実質は「生きてくれ」、「愛してる」くらいのニュアンスである。
今も私は、或る苛立たしさを以て、彼の顔をじっと眺めた。彼の晴れやかだった顔が、急に悲しそうになった。取っつきを失いながら立去りかねてる悲しみだ。ばか、と私は怒鳴った。そして消えゆく彼の後から叫んだ。ー死ね、死んでしまえ。泣き虫だと彼から笑われた私は、不覚にもまた涙をこぼした。厄介な彼、邪魔な彼、自分の半身の彼を、私は愛していたのだ。(kindle版 no. 187)
本作を象徴する場面とはいうものの、ここから切り取って「死ね!」というタイトルをつけることは作品の出来映えを左右する一種の賭けである。
私はこの賭けは成功したと考えるものである。