おすすめ ★★★★
近代ゴリラレベル ★★★★
言わずと知れた、夏目漱石の作品である。
私は、現在に至るまで本作を繰り返し読んでいる。
先日、機会があって、本作を久しぶりに読み返した。
本作は第一夜乃至第十夜で構成された短編である。
それぞれクセの強い夢が並べられている。
夢の含意は明らかではないが、どれも不気味さを伴っており、それにより本作は怪しげな輝きを放っている。
さて、夢十夜の中で私が好きなのは、第三夜と第六夜である。
第三夜のグロテスクさには惚れ惚れとする。
妙に大人びた「我が子」を背負っているという具象化がまず素晴らしい。
そして、最後に自分の認識が、物理的な感覚に即反映する様(背中の子が急に石地蔵の様に重くなる)も小気味よい。
これらの魅力以外にも様々な深読みができることに良さがあるが、ここでは割愛する。
私としては、夢十夜の中で圧倒的に好きなのが第三夜である。
第六夜は、達人の認識の本質を描いていると思う。
例えば、レオナルドダヴィンチの水の渦のデッサンでは、常人の感覚からすると奇異に思えるような細部が描かれている。
達人は、常人とは異なった解像度で現象を観察している訳である。
第六夜において、木の中に仁王が埋まっていて、それを掘り出すことで彫刻が完成すると説明する運慶は、この達人の認識を有している。
なお、第十夜は、豚の大群に崖で追いつめられる夢である。
先日、ガダラの豚を読んでいたため、すぐに同作品が頭をよぎった。
そう考えると、クセの強いその他の夢も何らかのモチーフがあるのかもしれない。