コーヒー哲学序説
1 概要
寺田寅彦によるコーヒーを考察するエッセイである。
コーヒーに関する卑近な話題から始まるが、徐々に抽象度を上げていき、哲学的考察の入り口まで誘う。
2 コメント
本作の序盤では、読者は、あまりに平凡なコーヒーの話題に面を食らうだろう。
そして、タイトルの「哲学序説」の意味合いに疑問を呈するだろう。
しかし、そう思っていたのも束の間、論題はコーヒーから宗教、毒薬など、「人間を酔わせるもの」を対象とした考察へと展開する。
「しかし自分がコーヒーを飲むのは、どうもコーヒーを飲むためにコーヒーを飲むのではないように思われる。」(No.58)という哲学的な言辞がフラグである。
文章が攻撃性を帯び、安全地帯に安住していた読者に揺さぶりをかける。
末尾は、
「コーヒー漫筆がついついコーヒー哲学序説のようなものになってしまった。
これも今しがた飲んだ一杯のコーヒーの酔いのの効果であるかもしれない。」(No.113)と結んでいる。
一旦、抽象論に走りつつ、最後はベタに着地するのも諧謔的で小気味よい。
このように、本作品は、極めて卑近なコーヒーの話から抽象的一般的論題への飛躍がある。
この飛躍こそが本作品の特徴であり、タイトルである「哲学序説」の正体である。
最後に、蛇足となるが、本作品では、論題の飛躍が作品としての面白さにつながっている。
一方で、巷で論題が飛躍し、一般論を具体的な事案に結合したり、具体的な事案を過度に一般化していることがある。
この場合の飛躍は、一定の意図により操作された飛躍であることが多く、注意深く読解をする必要がある。
備忘も兼ねて敢えて記す次第である。