現代落語論 笑わないでください
平成20年(第二版)
まず、私は、落語のド素人である。
そのような私に本書で提示される落語論を論評する資格がないことは、十分に自覚している。
それにもかかわらず、私があえて本書をとりあげるのは、本書の大衆との折り合いを語る部分が、落語の枠を超えた汎用性を持つ問題に思えたからである。
この部分は、純粋な落語論というわけではないため、門外漢の私がとりあげることも許されるであろう。
いいわけにならないかも知れないが、やはりわたしは大衆が欲しい。みんなに受けてもらいたいし、わかっていただいて支持されたい。このような悩みはわたしにかぎらず、モダンジャズ奏者である友人も、同じことをいっていた。263頁
そしてしまいに、本格の落語から見れば聞くに耐えないポピュラー落語をやるようになってしまい、やがては古典落語の雰囲気から遠のいていってしまう。280頁
高度な技芸、技能や伝統的価値を有する技芸は、必ずしもその真価が広く理解されるとは限らない。
そのため、自らへの理解の最大化をすべく、「見せ方の工夫」が要請される。
この「見せ方の工夫」は、時として、良質な技芸、技能を本来の形から歪めた形で発信するという犠牲を伴う場合がある。
これを犠牲として明確に認識し、後ろめたさを常に感じているうちは、プロとしての矜持は保たれているのだろう。
一方で 、アテンションエコノミーが跋扈する歪んだ情報空間においては、前提となる良質な技芸、技能をスキップした上で、「見せ方の工夫」のみで、経済的に成功している例が散見される。
今日も本物と偽物のせめぎ合いが繰り広げられている。
そして、偽物が本物を陵駕している場面を目にすることが多いことには無力感を覚えるのみである。
なお、これは、雑駁とした感想であると共に自戒でもある。