ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論
文春文庫
1999年
1 概要
立花隆の、知的生産に対する態度、読書論、読書術、仕事場について、読書遍歴、現在進行形(当時)の書評等が収録されている。
本書のサブタイトルに関連する文章が雑多に収録された「雑誌的」性質の本である。
2 コメント
(1)総論
本書は、上記第1項に記したとおり、雑誌的な性質である。
もっとも、その中でも一定の傾向はある。
まず、全体として、細かいノウハウというよりは、大局的な姿勢に関する記述が多い。
読書に即していえば、読書の意義を説く「読書論」が多く、具体的実践「読書術」は少ない。
なお、立花氏は、本の読み方としてスキミングを採用していることが分かる(157頁)。
(2)書斎、仕事論
書斎、仕事場に関する文章は、徹底的に具体的である。
机の配置や机のサイズに言及するといった具合である。
立花氏が仕事の効率を最大化するためにいかなる空間整備をすべきと考えているかが分かり、そこから同氏の仕事風景が浮かび上がってくるのが面白い。
別の章における記述であるが、本棚に入れると読んだ気になってしまうので、机の上に積み重ねるという環境的工夫も記されている(79頁)。
このトピックについては、より詳細に論じた、『佐藤可士和の超整理術』がある。
(3)断片
本書は各所に知的生産のヒント、仕事のヒントがちりばめられている。
ア 仕事
専門家に話を聞くときは事前準備が重要、誰かに話を聞きにいくときにはその人が書いた本をほぼ全部読んで行く(15~16頁)。
文章を頭の中でひねっている時は未だ混沌状態にあり、書いてみてはじめて分かることがある(164頁)。
イ 探求
遊びたい欲求より、知りたい、勉強したいという欲求の方が強い(21頁)。
お化けのような思弁哲学は歴史のふるいにかけられると誰も読まなくなるたぐいのものだと思う(55頁)。
その学問が何をどう問題にしているか、方法論、その学問によって何が分かっており、何が分かっていないか(77頁)。
数式は関係性を記述しているので、その関係の本質が分かれば細かく分かる必要はない(150頁)
基本的には、ただひたすらまじめに勉強するしかない。(157頁)
(4)最後の一冊
立花氏の「最後の一冊」がいかなる本になるか、というやりとりがある(168頁)。
現在の立花氏の年齢からすると、「最後の一冊」の時は迫っている。
近年の同氏の著作は、全盛期の緻密さを欠いているきらいがあるため、最後の一冊については、起死回生の一冊を期待したい。
(5)おすすめの本
おすすめの本をあげることを拒むやりとりも面白い(169頁)。
若いときに人から薦められた本を読んでもつまらない引っ張られ方をしたという後悔ばかりだったという。
自らの興味関心に従って本が選択されるべきという方向性には私も同意する。
(6)書評
書評についても言及されている。
立花氏によると、書評において必要なのは、「その本を手にとって見る価値があるかどうかの情報」である(206頁)。
情報は最小限でよく、一般の書評は書きすぎだと思っているらしい。
さて、私が記すのは、「読書感想文」であるため、性質は異なる(自らの備忘が主たる目的である。)ものの、立花氏の指摘は頭の片隅には置いておきたい。