輝ける闇
昭和57年
1 概要
ベトナム戦争を描いた長編純文学である。
2 コメント
(1)個人的疲弊の吐露
本書は、大学院時代に購入し、死蔵していた一冊である。
久し振りに重厚な長編小説を読んだ。
日々の合間に読み進めた本書を読み終わるのにはかなりの時間を要し、くたびれた。
流し読みで真価をくみ取れる性質の本ではないからである。
また、私が、小説を読むことから遠ざかっていたからであると思われる。
(2)作品の特徴
ア 純文学
本作品は、ベトナム戦争を舞台とした長編純文学である。
私小説は、一般的に、主人公である「私」が日常や常識へ反発、ひっかかりを示し、観念的に苦悩するという描き方が多い気がする。
一方で本書は、通常の反発やひっかかりが滑稽に思えてしまうようなスケールの大きさである。
舞台はベトナム戦争であり、戦闘の描写もあるが、単なる活劇ではない。
ゲリラ戦の空間の背後に漂っている思想、思考、人びとの行為態様、心情のゆれ、五感などが精巧に描かれた紛れもない純文学なのである。
イ 空間の特質
ゲリラ戦の空間においては、日々の生活における「雑音」が極端に少ない。
死の可能性がちらつく、このような空間で研ぎ澄まされた感覚の中で、現象の本質が見出される。
なお、ゲリラ戦の空間には狂気が漂っている。
この狂気は、乾いた狂気ではない。
湿った狂気なのである。
この辺のニュアンスは各々が本作品を読んで確認していただきたい。
ウ 概念と現実の結合
概念としての死と現実の結合ができない場面が何度も描かれている。
例えば、100メートル先の人間を撃つ場合、撃たれた者の死亡と引き金を引くという行為の結合がなされないという描き方がされている(50頁)。
エ 立場の固定、当事者性
ゲリラ戦の空間においては、立場決定がリスクとなるという特異性が描かれている。
・・・どこか一点に焦点がさだまること、一つの焦点を持っていることが他人に知られること、何であれ一つの立場を決定していることを他人に知られることを彼はひめやかに、かたくなに避けるのだ。今日の友がいつ明日の敵となるか知れないこの国で生きのびていくための知恵である。 88頁
また、著者は死の危険にさらされつつも、当事者性を欠如しているという微妙な立場が描かれている。
何と後方の人びとは軽快に痛憤して教義や同情の言葉をいじることか。残忍の光景ばかり私の眼に入る。それを残忍と感ずるのは私が当事者ではないからだ。102頁
オ 「匂い」
現地人にどのような小説を書くのか尋ねられる場面があり、以下の回答をする。
「もし書くとすれば匂いですね。いろいろな物のまわりにある匂いを書きたい。匂いのなかに本質があるんですから。」(108頁)
当然、この「匂い」は単なる嗅覚ではない。
それは、その空間に漂う雰囲気など広義の匂いなのである。