新右翼〈最終章〉 民族派の歴史と現在〔新改訂増補版〕
鈴木邦男
彩流社
平成27年
鈴木邦男氏の他の著作にも共通するが、短文を重ねる文体であり、歯切れが良い。
思考の明晰さがこの文体がに結実しており、表現内容は明確に伝達される。
鈴木氏は、他者に受け入れられてこそ言論表現としての価値があるという意識を持っていた。
学生運動の新聞は左は勿論、右も(その影響を受けて)、文章が難解であればあるほどレベルが高いと思う偏見があって、一度や二度読んでも全く分からないものが多かった。
・・・社会に出て一般の人を相手にするのでは、それではダメだ。
だから学生運動用語や右翼業界の専門用語は使わないようにし、ともかく分かりやすい文章、新聞を心がけた。56頁
本書は、繰り返し改訂されている。
一般書は、改訂版を出さずに、内容が重複する新著をタイトルを変えて出すことが多い。
そのような出版方法が短期的な商業戦略としては有効なのだろう。
通常の手段を採用せずに本書の改訂を重ねているところに、鈴木氏の本書に対する思い入れの強さを見る。
「あとがき」を書くのが、つらい。
苦しい。
出来ることなら、こんな「あとがき」は書きたくなかった。
「あとがき」を書く時、こんな気持になるのは初めてだ。
初めての体験だ。
今まで七〇冊ほど本を出してきたが、この本が一番愛着がある。451頁
本書の改訂部分を追っていくことで、鈴木邦男氏の思想(というより感情か)の変遷が分かる。
そして、この変遷の中で、もはや「右翼」という手垢のついたイメージでは鈴木氏の思想を表現できなくなる。
それゆえ、本書の改訂は「最終章」として打ち止めとなる。
神聖な「右翼」という名は、返上し、自分たちは社会、政治運動をやる。
・・・そんな時に、この『新右翼』も終わる。454頁
人口に膾炙した概念、手垢のついた概念(必ずしも正確な意味内容が理解されている必要はない。)は、他者への表現における有効装置でありつつも、自らを縛る鎖にもなり得る。
いつしか、鈴木邦男氏にとって、「右翼」は自らを縛る鎖となった。
そして、この鎖を振りほどこうとする途上で様々な軋轢にあっていた。
それにもかかわらず、鈴木氏は、鎖で繋がれた安全圏からの脱却をやめなかった。
このような鈴木邦男氏の姿勢に真の思想家、活動家の矜持を見た次第である。