近代ゴリラ=インテリジェントゲリラ

【読書感想文】私のマルクス

私のマルクス
佐藤優
文春文庫
2010年

私のマルクス (文春学藝ライブラリー)


 本書では、佐藤氏が学生時代に思想的基盤を形成したことが確認できる。

 佐藤氏の学生時代の勉強会の書籍のラインナップは、その後の佐藤氏の様々な著作で折に触れて紹介されているものを多く含んでいる(179頁)。

 

 当時、読書会で使った宇野弘蔵著『経済原論』・・・の第十七刷(一九七八年)を私は外交官になった後も、ロンドン、モスクワにもっていった。
 この本の書き込みを見るとアザーワールドで議論した若い日々の記憶が正確に甦ってくる。
 そしてこの本はいまも私の本の本棚に辞書などの常用書に並んで立っている。

190頁

 

 その基盤の上に、その後も思索が深められていくこととなる。

 

 大使館での勤務が深夜の一時、二時になろうとも仕事は絶対に家に持ち帰らないようにした。
 ・・・旧いテラスハウスだが、建て付けがしっかりしていたので、千冊以上の学術書を持ち込むことができた。
 ここでどんなに仕事が忙しいときにも毎日最低二時間は机に向かって神学書、哲学書、歴史書を読むことにした。

16~17頁


 マルクスと聞くと、錆びた知識であるとの印象を持つかもしれない。
 しかし、本書を読んで伝わってくるのは、マルクスの思想自体の有用性というよりは、一定の思想的、知的基盤があることの強みである。
 そして、この強みは、弱みにもなり得るのである。

 


 本論からは少し逸れるが、本書で政治的言説に関して述べている部分が面白い。

 

 聖書のような古典テキストは、文献学と解釈学の基本的訓練を受けた者がちょっと悪知恵を働かせれば、いかにょうにも解釈できる。
・ ・・このことは、聖書だけでなく、ヘーゲルの『精神現象学』や『大論理学』だってそうだ。
 冗談半分で、古典を根拠にどんな政治的言説でも作ることができることを私はインテリジェンスの世界で山ほど見てきた。

164頁

 

 ある者の政治的言説が、一義的に明確でない意味内容を含む文献を根拠としている場合、その言説の正当性は慎重に吟味される必要がある。


 そして、佐藤氏自身の著作でも、文献を引用して一定の言説を述べる場面がある。

 

 

 自分の頭で考え、納得がいかないことは納得がいかないと公言する習慣を作っておけば、少なくともグロテスクな物語作りに無自覚に参加することにはならない。
 外交官になってから、外交的な駆け引きや、外務省内部の抗争で、私も何回かグロテスクな物語を作ったことがあるが、そのときには、自らの行為がグロテスクであることを自覚していた。

237頁