近代ゴリラの読書感想文

元予備役。司法試験合格。国家総合職試験合格。

 近代ゴリラ=インテリジェントゲリラ

【読書感想文】天才はあきらめた

天才はあきらめた
2018年

天才はあきらめた (朝日文庫)

 
 結論として、山里氏が天才であるか否かは問題でない。
 
 本書では、細部への偏狭的ともいえるこだわり、下準備としての大量の反復作業、試行錯誤が多数の箇所で展開されている。
 この一職人の矜持をくみとればよいのである。
 
 
例えば当時、大好きだった爆笑問題さんをテレビで見て、そのしゃべりを必死に書いた。
 ダウンタウンさんの番組で自分の笑ったところで止めて「今なんでおもしろいと思ったか」をノートに書いた。
 おもしろい人のエピソードを真似してやってみたり、ある先輩が辞書を読んでいると聞いたので、辞書を読んで言葉数を増やしてみたりもした。(62頁)

 

 
 
ただ全く同じものをやるのではなく、いろいろなマイナーチェンジを加えた。
 一つのくだりに、単純にボケの候補を50個作って全て試して、一番ウケたやつを残すという入れ替え戦のような形でやっていたり、ツッコミのフレーズもいろいろ試したり、ある程度ウケるものが固まってきたら、ネタ内容は全く一緒だが、ボケを言ってからツッコむまでの時間を長くしてみるという細かいことまでした。
 ノートのなかのネタの横には、ツッコむまでの秒数とそれのウケの量を書いていた。
 毎回、ライブが終わるたびに取捨選択の作業、そしてそれをノートに書く。
 そのときに思いついたボケは次の舞台で入れてみる。
 そして反応を見てそれを固定化する。
 その繰り返しだった。(162頁)

 

 
 
 偏狭的なこだわりは、対人関係においては妙な執念深さとなって発現する。
 
 
いつか覚えとけよ・・・・・・。
 僕のノートには、その日のこのやり取りと、その人を罵倒するために自分が頑張らないといけないことをびっしり書いた。(154頁)
 

 

 
 なお、オードリー若林氏による巻末の解説が、本書にとって非常に重要な役割を果たしている。
 若林氏は、山里氏の天才性を説き、天才が「天才はあきらめた」などとうそぶき、とぼけていることは確信犯であることを愛情に溢れた毒舌で喝破する。
 「天才はあきらめた」と放言する天才の努力論は、若林氏の解説により様式美として昇華されるのである。