近代ゴリラの読書感想文

元予備役。司法試験合格。国家総合職試験合格。

 近代ゴリラ=インテリジェントゲリラ

あらためて、近代ゴリラとは

1 はじめに
2 近代ゴリラの典拠
3 近代ゴリラ上等
 
 
1 はじめに
 本ブログのタイトルにある「近代ゴリラ」の意味内容を示さずにここまで来てしまった。
 そこで、今さら感はあるものの、「近代ゴリラ」という表現について説明をする次第である。
 
 
2 近代ゴリラの典拠
 ご存じの方も多いと思うが、「近代ゴリラ」とは、東大全共闘三島由紀夫を揶揄するために用いられた表現である。

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 私はこの風刺画の存在は以前から把握していたが、その典拠は不明なままであった。
 そこで、三島由紀夫文学館に問い合わせをしたところ、学芸員の方からご回答をいただいた。
 上記風刺画は『世界画報』という雑誌に収録されているということだった。
 恥ずかしながら、私は、この雑誌の存在すら知らなかった。
 軽く検索してみると、どうも現在では入手困難であることが分かった。
 そこで、私は、国会図書館で、上記風刺画が収録されている「東大全共闘に喰われた近代ゴリラ」という記事を確認した次第である。
 
 
3 近代ゴリラ上等
 さて、上述の通り、「近代ゴリラ」とは、本来、三島由紀夫を揶揄するために用いられたマイナスイメージの表現である。
 では、何故私はそのような表現をブログのタイトルに採用したのか。
 結論としては、私は、近代ゴリラ上等と考えるからである。
 
 どういうことかというと、「近代ゴリラ」という表現は私が目指すべき境地(精神と肉体の調和)を的確に言語化しているように思えるわけである。
 言葉は、外部に放たれた時からコンテクストの束縛から脱却し、多様な意味合いで読み取られ得る対象となる。
 「近代ゴリラ」という表現も、三島由紀夫を揶揄するという文脈から離れたところで私の感性と共鳴したわけである。
 私は、「近代ゴリラ」という表現を気に入っている。
 ただ、それだけである。
 
 なお、三島由紀夫自身も「『近代ゴリラ』としてりっぱなゴリラになりたい。(笑)そういう気持ちでいるわけです。」*2と東大全共闘に応答している。
 

美と共同体と東大闘争 (角川文庫)

 
 
 

*1:世界画報 1969年7月号(38巻7号)98頁

*2:『美と共同体と東大闘争』三島由紀夫 東大全共闘 13頁 角川文庫 2000年