おすすめ ★★★
近代ゴリラレベル ★★★
法学入門
三ヶ月章 著
弘文堂
1 はじめに
2 焦点を当てるのは
1 はじめに
以前、藤木英雄博士の追悼文集を紹介した記事の中で、三ヶ月章博士の文章について触れた。
今回は、三ヶ月博士の著作である、『法学入門』を紹介する。
2 焦点を当てるのは
学生時代に、教授から本書を薦められたことがある。
その教授は、本書を日本が西洋法を継受した経緯を知るための良書と位置づけていた。
今回焦点を当てるのは、上記事項ではない。
法学基礎論に関する部分である。
本書のうち、純粋に法学基礎論に関して論じた部分は多くはない。
もっとも、当該箇所の記述は三ヶ月博士の本音も垣間見えるため、興味深い。
例えば、法学を「大人の学問」と表現し、青年期には法学の持つ画一的側面に対して反発感を持つこと正常であり健康的であるなどど述べる。
「法学入門」を目的として本書を読むのであれば、とりあえず、本書のうち法学基礎論に当たる部分を読まれたい(西洋法の継受や法学教育に関する記述に興味が持てなかったとしても気にする必要はない)。
三ヶ月博士は、法学の学習の極意として、以下の指摘をする。
法を学ぶには、外国語を学ぶ場合と全く同じく、反覆を気にしてはならず、むしろそれを意欲すべきなのである。何回も何回も異なる角度からであるが同じ問題を撫で直すことが、法の学習には不可欠である。ただ忘れてはならないことは、同じ問題を撫で直すたびに、ちょうどらせん形の階段を昇るように、少しずつでもあれ高みに上がってゆかなければならないということであり、単なる繰り返しを重ねていればいいというものではないということである。 (本書6頁)
法学に限らず、学習者であれば、この感覚は理解できるだろう。
惰性でなぞっているだけの復習の非効率性は明らかである。
一方で、ショーペンハウエルも記憶の極意として同様の指摘をする。
物事を一度学んだならば、それでいつまでも忘れないという具合になっているならば、それは結構なことであろうが、事実はそうではない。学んだことは、何事につけ、時折復習よみがえらしておかないと、段々に忘れ去られていく。ところが唯の反復は退屈なものであるから、復習するときにもいつも何程かを新たに加えて学ばなくてはならない。「前進か、しからずんば退歩」というのは、このためである。*1
思わぬところで見解の一致があったため、とりあえず紹介した次第である。