ガダラの豚Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ
久しく死蔵していた小説を読んだ。
本作は、一応、ミステリー小説に分類されているため、ネタバレは厳禁であろう。
これ以降の記述はネタバレを含むため、各々の責任で読まれたい。
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ガダラの豚Ⅰ・Ⅱ
おすすめ ★★★
近代ゴリラレベル ★★★★
ガダラの豚 Ⅲ
おすすめ ★★
近代ゴリラレベル ★
これらの評価から一目瞭然の通り、本作は第Ⅲ巻で一気に減速したと考える。
Ⅰ巻・Ⅱ巻で示された「視点」は秀逸である。
「視点」を要約すると、以下の通りである。
種々のオカルト現象はいずれもトリックで人為的に再現可能である。
そして、当該「現象」は人間の心理的死角をつくことによって成立する。
人間の心理的死角をつくには精巧な仕組みよりも単純で大胆な仕組みの方が効果的な場合がある。
この「視点」から、一見すると奇跡的に思える新興宗教の教祖の仕掛けを暴くところで第Ⅰ巻は幕を閉じる。
なお、本作で交わされる会話も人間の認知構造の偏りを巧みな具体例で指摘するものが多く興味深い。
そして、第Ⅱ巻は呪術の聖地アフリカへフィールドを移す。
ここでも種々の怪奇現象が発生するが、上記「視点」からの読解が続けられる。
第Ⅱ巻では、ラスボスであるバキリという呪術師が登場する。
バキリは今までの陳腐なトリックとは一線を画した本物の化け物のような存在として描かれる。
しかし、それでも、上記「視点」により読解がなされる。
科学的に説明可能な機序、認知構造の利用、疫学、生物学などの知識を総動員して呪術が成り立っているのではないかという仮説が示される。
この流れで最後に伏線が回収されれば本作は間違いなく真のミステリーであり、極めて高い完成度を誇ったと思う。
しかし、である。
本作は第Ⅲ巻の途中で、上記「視点」を放棄してしまったのである。
そして、最後は活劇的展開となり終結する。
私は第Ⅲ巻の途中で思った。
「何故そうなる!」と。
鬼才中島らも氏のことであるから、私の読解を超えたところに本作の真価があるのかもしれない。
第Ⅲ巻で構成してきた秩序を一気に破壊したところに文学的な意味があるのかもしれない。
しかし、凡人の私にはそれが分からない。
第Ⅲ巻の途中から、本作はそれまでに構築してきた秀逸な軸を折られ、ミステリー文学としての完成度は地に墜ちた。
単純にこう思ってしまうのである。