近代ゴリラの読書感想文

元予備役。司法試験合格。国家総合職試験合格。

 近代ゴリラ=インテリジェントゲリラ

【読書感想文】ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術

ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術
文春文庫
2003年

ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術

 
1 概要
 以前紹介した立花氏の著作は、「読書論」を論じるものであった。
 
 今回紹介するのは、「読書術」つまり、具体的な読書の技法について紹介するものである。
 もっとも、読書術を含む章は、全体の5分の1程度である。
 大部分は、読書日記=書評であり、最後に「『「捨てる!」技術を一刀両断する』」という小稿が収録されている。
 
 
2 コメント
(1)立花氏の読書術
 立花氏の読書術は、極端と見せかけてオーソドックスである。
 理屈ではなく、膨大な読書、資料の読み込みの中で経験的に体得された技術であることがひしひしと伝わってくる。
 このある種の泥臭さに(当然、合理性は備えているが)立花氏の読書術の魅力がある。
 
 立花氏は、そもそも全文通読する必要のない本が沢山あることを前提に、自らの読書の特徴を、全文通読が基本的必要条件となっている類いの本(長編小説など)を読むことが少ないことだと言う(20頁)。
 
 私を含め、多くのビジネスパーソンが、小説を熟読する時間をとれない実感があると思われるため、立花氏の当該前提は共有しているだろう。
 
 具体的な速読の技術としては、大方針として、大枠をつかみ徐々に細部を把握する読み方を推奨し、頭からじっくり読む方式は厳禁だとする(33、37頁)。
 その上で、まずはパラグラフ単位で読み飛ばして最後まで読んでしまうことがコツであるとする(41頁)。
 さらに、細かい技術として、本の構造を1枚のチャートにすることで把握する方法も紹介している(29頁)。
 
 速読の感覚的な説明としては、自然にまかせて読んでいき、自然に目にとまったところを熟読するとしている(33頁) 。
 
 
 立花氏は、これらの具体的な技術を示しつつも、切迫すると普通ではできないスピードで本を読むことができることを指摘し(25頁)、基本は、テクニックよりも熱中であると述べている(28頁)。
 
 立花氏のこの言葉は重い。
 この点が立花式読書術の支柱であろう。 
 
 この観点から敷衍して、切迫した状況を自ら作出することで、熱中できない本も読みきってしまうという大胆な方法も紹介している(28頁)。
 
 読書術の総括として論じられている、イメージに関する指摘が興味深い。
 あと一歩で言語化できそうな「非言語的原始概念」を尊重し(83頁)、考える素材として、正しいイメージを持つこと重要性を説く(87頁)。
 
 
 読書術とは少しズレるが、立花氏が考える良い書評についての記述もある。
  
 …その本を思わず手にとってみたいと思わせるようなことを書くことにしている。
 それにいちばんいいのは、適確で魅力的な引用であるから、いい引用箇所を見つけることに努力を傾注している。(19頁)

 

 つまり、立花氏は、「本に語らせる」ことで、本の魅力が最も伝わると考えている。
 
 
 
(2)私の読書日記1995.11~2001.2(89頁~)
  ぽつぽつと読んでみたいと思える本があった。
  詳細は割愛する。
 
 
(3)『捨てる!技術』を一刀両断する(427頁~)
  別著、『立花隆の書棚』に収録されている写真を見ると一目瞭然であるが、立花氏は、究極の「捨てない派」である。
  この立場から、「捨てる派」に対して反論する。
 
  反論の中では、物を媒介とした記憶について論じた部分(444頁)は面白かった。
  つまり、思い出の物を強力な記憶補助装置と位置づける訳である。
  思い出の物の媒介として、その物に関連する記憶が鮮明に想起される経験は多くの者が共有しているところであろう。