日本の思想
1961年
1 概要
丸山真男による、あまりに有名な啓蒙書である。
I「日本の思想」、II「近代日本の思想と文学」は論文体であり、Ⅲ「思想のあり方について」、Ⅳ「『である』ことと『する』こと」は講演体である(181頁)。
2 コメント
Ⅰ「日本の思想」は、総論的な論稿であるため、扱いは難しい。
日本における外来思想の受容方法の批評(主に14~16頁)、理論と現実(60~62頁)などは面白い。
プロレタリア文学を基軸に、文学と政治、思想を論じるⅡ「近代日本の思想と文学」は、もはや隔世の感があると言わざるを得ない。
現代においては、SNS等の断片的、直情的な情報が政治意識に及ぼす影響が圧倒的に肥大している。
このような時代状況においては、文学から政治を説くのは、少数者の奇異な営みに映るだろう。
講演体である、Ⅲ「思想のあり方について」・Ⅳ「『である』ことと『する』こと」は平易であり、身の回りの具体的な問題に引きつけて考えやすい内容である。
著者もあとがきで一つの読み方として、Ⅲ・Ⅳから入ることを勧めている(181頁)。
Ⅲ「思想のあり方について」で示された「タコツボ型」、「ササラ型」という用語はあまりに有名である。
ただし、現代では、本書が刊行された当時と比較すると、世に流通する情報量が爆発的に増加しており、ササラ型のスタンスを保持することは容易ではない。
専門性を備えるためには、ある程度タコツボ型にならざるを得ない。
Ⅳ「『である』ことと『する』こと」は私が好きな論稿である。
当然、「である」と「する」とでは後者に力点が置かれている。
ただし、少し考えると、両者が不可分に結びついている場合もあることに気づく。
例えば、天皇陛下の国事行為がこれに当たるだろう。
また、本書では、教養人は、何かをすることではなく、その個体性の自覚に意味があるという見方を紹介している(178頁)。
いずれにせよ、「である」、「する」という視点、「である」に力点が置かれることで人間行動の本質を誤る恐れがあることは、有効な指摘であることは間違いない。
「である」と「する」ことの区別、「である」と「する」が結びついているがゆえに特殊な問題が生じていることなどを分析する現象把握の一助となるであろう。