知識人とは何か
大橋洋一 訳
1998年
おすすめ ★★★
近代ゴリラレベル ★★
1 概要
本書は、サイード氏による知識人論の講演を収録したものである。
同人によると、「知識人とは、亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」(20頁)。
2 コメント
本書は知識人を論題としている。
ここでいう知識人は、高等遊民ではなくジャーナリストや評論家のイメージに近い。
本書には、いくつかの章が設けられており、私は、第四章の「専門家とアマチュア」に特に興味があり、本書を手に取った。
扱う情報、知識の精度、深さ(つまり、扱う情報の内容面)に着目し、専門家とアマチュアがいかなる基準で分けられるかが示されることに期待した。
しかし、 本書が示した両者を分ける基準は、両者の「姿勢」の問題であり、私の関心からは少しずれていた。
「姿勢」の問題とは、立場によって、問題意識や検討対象が規定されることである。
私としては、専門家とアマチュアの「姿勢」の問題が自らの関心からずれていることに加えて、無防備に真実を措定してしまう論調には共感できない面があった。
著者は真実の追及のための問題提起による現状の撹乱を推奨し、それを知識人の役割であるとする。
しかし、問題提起のための撹乱が必ずしも望ましくない場合もあるだろう。
アマチュアによる問題提起が、専門家から見たら明らかに誤った情報、知識に基づいていた場合、それは単に非生産的な混乱をもたらすのみである。
そして、混乱をもたらす情報は拡散し、大衆が扇情的に振る舞えば、もはや情報の正誤は副次的な問題として取り残される事態も起こりうる。
私は、告発の意義を否定することはない。
固定観念から一方的に告発を却下する姿勢は、当然、避けるべきである。
ただ、社会において「真実」という大義名分に酔った盲目的な「告発」が生じるたびに、何とも形容しがたい感情を抱くのである。
ホリエモンが似たようなことを述べていたので引用する。
結局のところ、福島第一原子力発電所の事故によって引き起こされた災害は、放射性物質によるものよりも、無知なメディアの情報を鵜呑みにした人たちがギャーギャー言って混乱をきたした現象のほうが深刻で、これはけっこうな災害だったといえるだろう。そしてその人災の一番の被害者は、福島の人たちだ。*1