ぼくの血となり肉となった五〇〇冊 そして 血にも肉にもならなかった一〇〇冊
2007年
先日、ジャーナリスト・作家の立花隆さんが逝去された。
私事で恐縮だが、私も現在に至るまで立花さんの著作から一定の影響を受けている者の一人である。
私なりのささやかな追悼として、まだ読んだことのない立花さんの著作を読んだ。
本書を読んだ目的としては、立花氏がいかなる基準で良書(=血となり肉となった本)、悪書(=血にも肉にもならなかった本)を判断しているのか知ることだった。
しかし、本書の内容は、このタイトルから想起される内容からは距離があった。
まえがきでも、あえてこのタイトルとしている旨の弁明がある。
実態としては、『立花隆の書棚』のミニ版といった趣である。
猫ビル内の書棚を立花さんにインタビューをしながら巡っていく。
本書では、『立花隆の書棚』と違い写真は全く収録されていない。
また同書と重複する話もある。
したがって、どちらか一冊を読むのであれば、『立花隆の書棚』を勧める。
もっとも、重複していない話を楽しみたいのであれば、両方読んでもよいだろう。
沢山の大学者を取材してわかったことは、・・・小さい学者は、自分の研究で何がわかって、それがいかに意義のある発見かということばかり懸命に語る。中くらいの学者になると、その学問の世界全体の中で自分の研究・発見の大きさを客観的にちゃんと位置づけて語ることができるようになる。そして大学者になると、自分個人の研究だけでなく、その領域の研究全体がまだどれほど遅れていて、どんなにわからないことばかりなのかを、きちんと語ってくれます。・・・最晩年のニュートンが、自分の一生をふりかえって、自分が発見したことなどほんとにちっぽけなもので、神様の目から見たら、真理の大海を前にして、きれいな小石を二つ三つ拾って喜んでいる幼児のようなものだろうと語っていますが、それに近い心境になるのでしょう。(147頁)
果てなき知の旅の終期に、立花さんは、何を思ったのであろうか。