ヒクソン・グレイシー 無敗の法則
ミゲール・リーヴァスミクー構成
高梨明美訳
2010年
1 概要
あえて分類するなら、エッセイと自己啓発本の中間のイメージである。
ヒクソンが人生、対人関係、心のあり方などについて語る。
2 コメント
格闘技は、危険にさらされる競技であるという特殊性がある。
また、北岡悟選手の言葉を借りるならば、格闘技は、負けると存在が全否定されるという特殊性もある(いささか修辞的な表現だが)。
もっとも、これは建前であり、俗物的な面白さがありそうな本書が目にとまり、つい手にとったというのが本音である。
以下、本書で興味深かった部分をいくつかとりあげる。
(1)恐怖との向き合い方
ヒクソンの言葉からは、「強さ」の実態は、蛮勇ではなく、計算、自覚、分析に基づいたものであることが分かる。
「本物の戦士は、感情より理論に従うべきだと私は実感した。感情のせいで、やるべきことができない場合がある」そうである(81頁)。
「恐怖」を完全に消し去る方法(51頁~)という部分では以下の指摘がある。
ヒクソンは、本当の恐怖はたいてい心の中にあり、恐怖を克服する方法とは、まず何よりも問題を理解することであると説く。
つまり、芥川龍之介的な「ぼんやりとした不安」の状態の場合は、問題を解析し、理解するところからはじめなければならない。
これと同系の指摘として、人が怖がるのはたいてい「知らないもの」であるとする(55頁~)。
自分の恐怖がどこから生まれたのかを、理解する必要がある。
(2)発明者と改良者(24~25頁)
ヒクソンは、人の特質を発明者と改良者に二分し、自らは改良者であるとする。
そして、同じ稽古をし、同じように育った兄弟の中で、細かいことに注目する性格だったのはヒクソンのみであったという。
「知っていることの中から大事な何かを読み取ろうとし、見えないものを必死でみること」が改良者の資質である。
(3)知恵とは(88頁)
「知恵は外から入れられるものではなく、自分の中に見つけて、使うもの」と説く。
ここで、「使う」というステップまで明示されていることがミソである。
また、同じものを見ていても本質をとらえることができず、表面的な知識ばかりが増える人と、何かを読んだらすぐに実行に移し、自分だけの深い考え方を身につける人がいる。
その違いは、知識ではなく、個性の差であるとする。
この指摘は、現象の解像度が高い妹尾河童氏を彷彿とさせる。
(4)イメージトレーニング
ストレスは心の中にあるイメージから生まれることを前提に、何を考えたときにストレスを感じるかが重要であるとする(96頁)。
極めつけは、何かを考えているとき、頭の中でそれが現実なのかどうかを区別していないという境地までが示される(同)。
さらに、以下の具体的なイメージが示される。
敵に向かい合うとき、自分をライオンに見立てる(173頁)。
何となく歩くのはダメで、歩き方を見ただけで負け犬だと簡単に分かってしまうという(179頁)。
イメージについては、「イメージして宣言して実行する」という項目で詳述されている(225頁~229頁)。
頭の中で決意を具体的な言葉にすることはイメージすることとは異なることで、イメージすることと同様に重要であるとする。
実行の際には、意志の力を理解し、コントロールすることが重要である。
意志の力は感情とは関係なく、論理的に考えるところから生まれるという指摘は興味深い。
(5)謎の逸話
裁判官が柔術をしたことで、従来は常時目の前に積まれていたファイルがきれいに片付いていることに気付いた、加えて、心の中に迷いがなくなり、何が正しくて何が正しくないかが分かるようになったという謎の逸話も紹介されている(125~126頁)。
また、拳法の師範から、「何の分析もしてはいけない、何の感情もなく、ただ性質を感じるだけ」という指示を受け、実践し、1時間15分窓枠に座り続けている自分に気付き、師範を見ると、号泣しており「完璧に本質をつかんだな」と発言したという謎の逸話も紹介されている(165~166頁)。
(6)その他
インタビューの小技も紹介されている(218頁)
インタビューを受けるときも、多くを語らないようにしてきた。
口にする言葉が少ないほど、人びとの好奇心は増し、期待も膨らむ。
呼吸の重要性を強調している(254~257頁)。
15分深い呼吸をすれば生まれ変われるそうである。
このように、本書は、随所に「クセ」があり、そのクセが俗物的に面白いことに加えて、独特の提言につながっており、本書の価値を高めているのである。